相国寺承天閣美術館

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茶の湯の道具たち1

①天目茶碗

中国南宋・元時代、浙江省天目山には臨済宗幻住派の祖中峰明本、 隣接地径山萬寿寺には相国寺法脈の祖である無準師範が住しており、日本から多くの学僧が参禅した。

これら日本僧が帰国時、贈られて持ち帰った建盞の茶碗を我が国では天目茶碗と呼び、禅院での儀式茶礼に使用されるようになった。つまり抹茶を喫する器は、この天目茶碗に始まると言ってよいであろう。

また台子は元来中国禅院で使用されていたもので、南浦紹明が中国から帰朝(一二六七)のおり、台子と皆具一式を筑前(福岡県)崇福寺へ請来した。

後、大徳寺から相国寺開山夢窓疎石を経て足利将軍家に伝わる。扶桑茶道の歴史は鎌倉時代に宋朝風純粋禅を伝えた臨済僧により始まった。
文:鈴木景雲

図1

図1:重要美術品 禾目(のぎめ)天目茶碗 建窯 南宋
禾目とは黒釉の表面に発色した細い線条文を、イネ科の植物の花の外殻にある針のような穂先に見立てた呼称。またこの線条文を兎の毛に見立て、兎毫盞(とごうさん)とも呼ばれている。本作は天目としては稀にみる大振りで、また口辺が反返った珍しい形である。
漆黒の釉薬が多く掛かり、禾が内外で美しい光沢を放っている。