総合歴史年表
南北朝
- 1338
- 足利尊氏、室町幕府を開く
- 1339
- 足利尊氏が禅寺である天龍寺を建立
- 1351
- 夢窓疎石示寂 77歳
- 1358
- 足利義満生まれる
- 1382
- 臨済宗夢窓派の禅に傾倒していた義満は、禅寺を創建したいと発願新寺の名称は「相国寺」と定まり、仏殿と法堂の建設がはじまる
- 1383
- 相国寺の寺号は「萬年山相國承天禅寺」に決まり、義満は故夢窓疎石を開祖とし、春屋妙葩を二世住持とする
- 1385
- 着工から3年をかけて相国寺の仏殿が完成(以後、三門、僧堂、法堂が相次いで完成
さらに義満の檀那塔鹿苑院をはじめとして、歴代足利将軍の牌所などが建てられる)
- 1386
- 義満 相国寺を京都五山(禅院の格式制度)の第二位とする
室町
- 1392
- 南北朝合一
- 1394
- 義満 将軍職を辞し太政大臣となる
- 1395
- 義満 太政大臣を辞し出家する
- 1392
- 着工から10年を経て相国寺の伽藍が完成し、落慶供養が行われる
- 1393
- 相国寺七重大塔の建設がはじまる(6年後完成)
- 1394
- 直歳寮から出火し、相国寺全焼する
義満 絶海中津のすすめで再建を決意する
- 1395
- 相国寺の仏殿の再建がはじまる
- 1399
- 相国寺の七重大塔が完成する
- 1397
- 義満 京都北山にある西園寺家の邸宅と庭園をゆずりうけ、別荘北山第の造営に着手し、舎利殿(金閣)の建設をはじめる
(以後、会所、中門、七重大塔、南御所、北御所寝殿などが建てられた)
- 1398
- 北山第の舎利殿(金閣)が完成する
義満 室町第から北山第に移り、以後、公的行事は北山第で行われる
- 1399
- 相国寺の七重大塔が完成する
- 1401
- 義満 明との貿易を求めて使者を送る
- 1402
- 義満、明との国交を回復する
- 1404
- 勘合貿易はじめる
- 1401
- 幕府 相国寺を京都五山の第一位とする
- 1402
- 義満、来日した明の使者と北山第で面会する
- 1403
- 高さ100メートル余りの相国寺の七重大塔、落雷により炎上、焼失する
- 1404
- 義満、「日本国王之印」、永楽勘合を携えた明の使者と北山第で面会する
- 1408
- 義満死去
後小松天皇 北山第に行幸する
唐絵唐物が献上される
- 1416
- 北山第に造営中の相国寺七重大塔、落雷により炎上、焼失する
- 1420
- 義満の遺言により北山第は、禅院の鹿苑寺に改められ、夢窓疎石を観請開山とする
- 1425
- 賢徳院より出火し、相国寺全焼する
足利義持、相国寺仏殿の再建をはじめる
- 1462
- 池坊専慶が佐々木邸で立花を行う
- 1467
- 応仁の乱おこる
京都洛中の社寺、邸宅、多数焼失する
- 1467
- 応仁の乱により、相国寺の東司や総門など、兵火にあい焼失する
応仁の乱により、金閣などを残して鹿苑寺焼失する
- 1482
- 義政、東山山麓に山荘(東山殿)の建設をはじめる
(工事は、義政が没する1490年まで断続的に続けられ、常御所、西指庵、東求堂、会所、観音殿銀閣などが建てられた)
- 1483
- 東山山荘に、常御所が完成し、義政移る
- 1486
- 東山山荘に義政の持仏堂である東求堂が完成し、書院は同仁斎と名付けられる同仁斎は、茶室の源流となる
- 1487
- 東山山荘に会所、泉殿完成する
義政、東山山荘に[銀閣]を造営するため、鹿苑寺に参詣し、金閣をみる
- 1489
- 東山山荘の銀閣の建設がはじまるが、秋、義政、発病する
- 1490
- 義政の死去後、銀閣が完成する
義政の遺言により東山山荘は禅院に改められ、翌年慈照寺と名付けられる
安土桃山
- 1579
- 楽長次郎が千利休の指導で茶碗をつくり、楽焼を始める
- 1574
- 織田信長、相国寺方丈に堺衆を集め名物披露の茶会を催す
- 1584
- 西笑承兌、相国寺第九二世として入寺し、同寺の復興に尽力する
- 1594
- 豊臣秀吉が伏見城築城
- 1596
- この頃、平田道仁が朝鮮から七宝の技術を学び、有線七宝を確立
- 1598
- 豊臣秀吉が醍醐の花見の宴を催す
江戸
- 1603
- 徳川家康が徳川幕府開設
徳川家康が二条城を築城
出雲阿国らが歌舞伎踊を始める
- 1615
- この頃、三文字屋九右衛門が粟田口焼を始める
- 1620
- 京都で大火がおこり、相国寺、大半を焼失する
- 1624
- このころ鹿苑寺に茶室、夕佳亭が建てられる
(明治初年に焼失、同7年に再建される)
- 1641
- この頃、音羽屋惣左衛門、音羽焼を始める
- 1646
- 江岑宗左が千宗旦より家督を相続(表千家)
千宗旦が今日庵を建てて、隠居(裏千家)
- 1649
- このころ鹿苑寺住持の鳳林承章、野々村仁清と交流する
- 1650
- この頃、野々村仁清が御室焼を始める
- 1659
- 修学院離宮造営
- 1765
- 若冲 相国寺に釈迦三尊図動植綵絵24幅を寄進する
- 1788
- 天明の大火により、相国寺は法堂と数院を残してほとんど焼失する
明治
- 1889
- 相国寺(独園) 若冲の動植綵絵を宮中に献納する
- 1890
- 疏水(琵琶湖)完成翌年から水力発電が始まる
- 1895
- 時代祭が始まる
平安神宮鎮座式
- 1897
- 日本初、四条河原で映画が上映される
昭和
- 1950
- 鹿苑寺の金閣、放火により全焼する
- 1951
- 慈照寺の銀閣と東求堂が国宝に指定される
- 1955
- 金閣、明治の解体修理時の記録を元にした復元が3年をかけて完成する
- 1958
- 鹿苑寺の方丈と大書院の修理が完了する
- 1984
- 相国寺内に承天閣美術館が開館する
- 1987
- 金閣の改修が完了し、金箔張り替えられる
平成
- 1990
- 相国寺の法堂解体工事に着手
- 1998
- 相国寺の法堂の修理が完了する
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