銀閣寺について
銀閣寺とは
義政の精神を受け継ぐ 、東山慈照寺
正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。
銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。
室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。
九歳にして家督を、十五歳にして将軍職を継いだ義政は、生涯をかけ自らの美意識のすべてを投影し、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を作り上げました。銀閣寺は美の求道者ともいえる義政の精神のドラマを五百年後の現代にも脈々と伝えています。
銀閣寺のあゆみ
宗派
臨済宗相国寺派
相国寺は臨済宗相国寺派の禅寺です。初祖達磨大師が中国に伝えた、いわゆる禅宗を起源とする一派で、日本に伝わったものは臨済宗をはじめ曹洞宗、黄檗宗などがあります。
臨済宗は、正法とされるお釈迦さまの正しい教えを受け継ぎ、宗祖臨済禅師をはじめ、禅を日本に伝来された祖師方、そして日本臨済禅中興の祖・白隠禅師から今日にいたるまで、師から弟子へ連綿と伝法された一流の正法を教えとしています。そして本来備わる純粋な人間性を、坐禅を通して自覚し悟ることを宗旨とする宗派です。
宗祖である臨済禅師の言葉に「赤肉団上に一無位の真人あり。常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は、看よ看よ」というのがあります。我々に本来備わる、この一無位の真人を自覚することがまさに臨済宗の宗旨なのです。
金閣寺と銀閣寺
相国寺の塔頭
金閣寺、銀閣寺がともに相国寺の塔頭寺院であることは、あまり一般に知られていないのではないでしょうか。
相国寺は室町幕府三代将軍 足利義満により創建され、金閣寺もほぼ時を同じくして義満により創建されました。銀閣寺はその後年、同じく室町幕府八代将軍である足利義政により創建されています。足利歴代将軍が創建した禅宗寺院として、本山である相国寺の塔頭寺院となり今に至っています。
そして現在においては、相国寺の山外塔頭として相国寺僧侶が任期制をもって相国寺とともに金閣寺、銀閣寺の運営と後世への継承にあたっています。