境内案内
総門Somon
鐘楼Syoro
鐘は西園寺家に由来し、鎌倉期に作られたと伝えられています。黄鐘調(オウシキチョウ)の鐘として知られる「ラ」の音を基準音としています。
庫裏Kuri
禅宗特有の様式の建物で、明応・文亀年間(1492~1504)の建物と見られます。
櫟樫Ichiigashi
金閣寺が現在のような伽藍配置に再整備されたのは、江戸時代初期です。この櫟樫(イチイガシ)は、その頃に殖栽されたものか、あるいは既に成木となっていたものが残されたのかのいずれかであると思われています。櫟樫は照葉樹林を構成する常緑高木の一つで、日本では本州(関東南部以西)四国・九州に分布していますが現在京都周辺ではあまりみられません。京都に残る櫟樫の巨木として貴重であり、昭和58年6月1日京都市指定天然記念物に指定されています。
唐門Karamon
浄蔵貴所塔Jyozokishotou
平安時代の天台密教僧 浄蔵(891-964)の供養塔です。浄蔵は幼い頃から聡明で7歳より仏門を志し、12歳にして出家しました。加持、祈祷にすぐれ、神通力で八坂の塔の傾きを直すなど様々な奇跡を起こしたことで有名です。この塔にお参りすると浄蔵の不思議な力によって願い事が叶うとされています。
葦原島Ashiharajima
境内約132,000㎡(4万余坪)の内、92,400㎡(2万8千坪)が鹿苑寺庭園として特別史跡及び特別名勝指定地となっています。中心をなす鏡湖池(キョウコチ)は約6,600㎡(約2千坪)、ここに葦原島(アシハラジマ)など大小の島々、畠山石などの奇岩名石が配されています。
舎利殿 金閣Shariden Kinkaku
二層と三層は、漆(ウルシ)の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹(サワラ)の薄い板を何枚も重ねた柿葺(コケラブキ)で、上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰(ホウオウ)が輝いています。一層は寝殿造(シンデンヅクリ)で法水院(ホッスイイン)、二層は武家造(ブケヅクリ)で潮音洞(チョウオンドウ)とよばれています。三層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(クッキョウチョウ)とよばれ、三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物と言えます。昭和62年(1987)秋、漆の塗替えや金箔の張替え、更に天井画と義満像の復元を行いました。
舎利殿 金閣Shariden Kinkaku
ライブカメラ方丈Hojo
陸舟の松Rikusyunomatsu
榊雲Shinun
庭内の一角、金閣の北に、当山鎮守春日明神を祀った古廟榊雲(シンウン)があります。
銀河泉Gingasen
金閣の後を進むと銀河泉(ギンガセン)があり、義満がお茶の水に使ったと伝えられており、今も清冽な清水が湧き出しています。
巌下水Gankasui
巌下水(ガンカスイ)は、義満公が手洗いに用いたといわれています。
金閣寺垣と虎渓橋Kinkakujigaki & kokeikyo
龍門滝の左側山畔に石段があります。この小さな石橋を中国の故事、虎渓三笑にちなんで虎渓橋(コケイキョウ)といいます。その両側に低い竹垣があり、右と左の組み方が違うのが特徴です。これが金閣寺垣と称され小竹垣の代表とされています。
龍門滝Ryumontaki
この滝は2.3メートルもの高さを一段落としにしたもので、龍門の滝を鯉が登りきると龍に化するといわれる中国の故事登竜門に因んだ鯉魚石(リギョセキ)が置かれています。いままさに跳ね上がらんとする龍の姿が、滝壷の所に斜めに傾いた動きのある石で表されています。
安民沢Anmintaku
安民沢(アンミンタク)は雨賜沢(ウシタク)・望雲沢(ボウウンタク)ともいう池で、まわりは樹林に囲まれ奥深い感じがします。ひでりが続いても涸れないので雨乞いの場ともされていました。池中の小島には、白蛇塚という五輪の石塔があり、西園寺家の鎮守などとも伝え、この池は同家当時の遺跡をとどめているといいます。
白蛇の塚Hakujanotsuka
夕佳亭Sekkatei
安民沢をすぎて山路を登ると、夕佳亭(セッカテイ)があります。江戸時代、傾きかけた金閣を復興し、池泉庭を修復したのが鳳林承章(ホウリンジョウショウ)でした。修学院を造営した後水尾(ゴミズノオ)上皇の為に、承章が金森宗和(茶道家)に造らせたのが夕佳亭です。宗和が好んだ数奇屋造りの茶席で、夕日に映える金閣が特に佳(ヨ)いということからこの名が付けられました。南天の床柱と萩の違い棚で有名な3帖の茶室です。
朱印所Syuinjo
不動堂Fudodo
本尊は弘法大師が作られたと伝えられる石不動明王で、霊験あらたかな秘仏として広く一般に信仰されています。節分と8月16日に開扉法要(カイヒホウヨウ)がいとなまれます。